
RECORD NO.02
中村 和明
なかむら かずあき
技術開発室 ECI開発設計センター 製品開発統括部
電子機器第四開発部 電子機器第41開発チーム
チームリーダー

アドベンチャースクール制度に興味
大学で専攻したのは、光と超音波を組み合わせた医療機器の研究で、矢崎との接点は特にありませんでした。就職活動時に、矢崎に就職した先輩にお会いし、この会社が人材育成に力を入れていること、なかでも入社後半年〜1年間、希望する外国に行って、好きなテーマにチャレンジさせてくれるアドベンチャースクールという制度があるという話を伺いました。将来世界で働いてみたいと思っていた私はこの制度に強く惹かれました。
面接試験で「あなたは外国のどこかにワイヤーハーネスの工場を造るとしたら、どの国に造りますか」という質問が出て、とっさに頭に浮かんだのが中国でした。


中国大連でアジアの学生と歌謡合戦
私が入社した2002年は中国がWTOに加盟し、世界の工場として急成長し始めたころ。「中国脅威論」が叫ばれるようになり、その活気を現地で感じてみたいと思い、アドベンチャースクールの目的地に中国を選びました。受け入れてくれたのは中国東北部の大連にある大連鉄道学院(現・大連交通大学)の短期留学コース。ここで「中国語を学んで、合唱の経験を生かし、歌で多くの中国人や外国人と交流を図る」というのが、会社に提出した私のプランでした。合唱はともかく、アジア各国の学生たちと食卓を囲み、民謡や国の歌を歌って、大いに交流したものです。大連の街は北海道出身の私にとって親しみやすく、綺麗な中国語が使われている街。ここでの6ヶ月間にわたるワクワクするような体験が、その後の私と中国との関わりのスタートでした。

MBA取得に生きた大連の経験
帰国後は機器開発事業部に配属され、2007年に「中国に精通した人材を育てる」という会社方針による派遣留学制度で2年間、中国広州に派遣されました。公募による人選でしたが、アドベンチャースクールの大連体験も考慮されたようでした。留学先は米国マサチューセッツ工科大学(MIT)と提携している中山大学のビジネススクールで、学生は8割が中国人。授業はMITの教授や米国で研修を受けた講師が英語で行いますが、ケーススタディのディスカッションは中国語で行われることが多く、大連で鍛えた語学力や、外国人クラスでみんなのまとめ役になった経験が生きました。
そして、経営学修士(MBA)を取得することができました。
上海で5年間、念願の中国赴任
派遣留学から帰任して3年後の2012年、中国・上海の矢崎中国投資有限公司(YCIC)に赴任しました。当地での任務は、中国カーメーカー向け電源BOXの受注、および開発設計の推進と体制作り。YCICでの評判は中華圏の他事業所製造部門にも伝わり、協調して進めることができました。
しかし、個人の待遇や評価、評判もあっという間に周囲に伝わり、文化の違いに戸惑うことも多々ありました。常に他部門の人にもきめ細かなコミュニケーションを図るなど、人間関係に注意を払いました。また、人の入れ替わりのある組織であることを想定し、仕組みを作ることを意識しながら仕事を進めました。この時の経験は、現在の業務においても、仕組み改善や他部門との協調について習慣的に考える良いきっかけとなりました。