RECORD NO.01

小池 裕之

こいけ ひろゆき

自動車部門 企画室 東アジア部 部長

裾野の広い業界で幅広い体験がしたい

私が就職活動をした1990年初頭はいわゆるバブル真っ盛り。矢崎の売上高はまだ現在の1/3、海外比率も3割程度でしたが、国産車メーカーが当時積極的に海外展開を図るのに合わせて、矢崎も飛躍的に業績を伸ばしていた時期でもあります。就職活動中はさまざまな業界に興味を持ちましたが、自動車部品業界はダイナミックで裾野も広く、他業界に比べて幅広い体験ができそうだと思い、最終的に矢崎への入社を決めました。

秀才揃いのチームで揉まれ奮起

1992年の入社以来、私はほぼ一貫して原価管理部門でコスト計算、販売価格算出業務に携わりました。入社8年目に、営業統括事業部で外資系大手電機メーカーに対するM&A案件を分析評価するプロジェクトチームに1年ほど加わり、ときには相手先の海外事業所まで出かけて調査したり、米国デトロイトの矢崎ノースアメリカの幹部と情報交換したりしました。このときは会計士の資格やMBAを持つコンサルタントなど秀才揃いのメンバーに揉まれて、自分の未熟さをいやというほど思い知らされ、大いに奮起したものです。

米国デトロイトで初の海外勤務

プロジェクト終了の翌年、矢崎ノースアメリカで人員を補充することになり、M&A案件で知り合った幹部の推挙も後押しとなり、2001年から7年間、初の海外出向を経験することになりました。
私の任務は、原価管理部門の立ち上げや新システム・ツールの導入、現地スタッフの養成など、ゼロから体制を構築していく仕事。確かに、コンプレックスに潰されそうになった例のM&A案件での体験が、生かせる仕事でした。

現地で広がった交流の輪

アメリカには妻と息子2人(6歳、4歳)の家族4人で赴任しました。息子たちはウィークデーに現地の学校へ通い、土曜日は日本語補習校で国語と算数を中心に勉強します。私たち親グループは、子どもたちの補習やスポーツ活動を手伝ったり、BBQをやったりと、所属企業は違っても子どもを中心に交流の輪が広がりました。また、他国からの駐在員とも交流が広がり、親同士の国別対抗サッカー大会を開くなど、充実した海外赴任生活を楽しみました。仕事以外での人脈を築くことができ、人々との交流を通じて見識も広がりました。

郷に入っては郷に従え

7年間のアメリカ赴任から一旦帰国したあと、4年後の2012年から5年間、矢崎ブラジルのサンパウロ事務所に単身で出向しました。
担当はこれまでの原価管理部門だけでなく、長期計画や年次事業計画を立案する部門へと広がりました。また任期中にブラジルとパラグアイに2つの工場を建設したことも、いい体験になりました。
ブラジルでは、毎日がカルチャーショックの連続でした。日本と比べ、何をするにも何倍もの時間と労力がかかります。期待どおりにならないことを常に念頭に置き、あらゆる価値観を受け入れるつもりで、相手への説明や説得を根気よく続けました。決して相手を非難しないこと。郷に入っては郷に従うこと。それが、海外赴任で得た私の教訓です。担当業務の枠に縛られず固定概念を捨て、あらゆる分野に積極的に関わることで、個人や他部門の業務が理解しやすくなり、自分の視野を大きく広げることができました。

将来、日本語教育で恩返しがしたい

海外赴任中は、社是の一つである「社会から必要とされる企業」を意識して業務にあたりました。日本にいるとき以上に周囲に感謝し社会に貢献する意識を強く持つことが大切であると感じています。矢崎に入社してから今まで、私は行く先々でたくさんの方々から親切なサポートを受けてきました。将来は、これまで赴任した国や地域を訪れて、ボランティアで日本語や日本文化、日本独特の価値観や考え方を紹介することで、お世話になった方々に恩返しをしていきたいです。