YAZAKI 過去がある。今がある。未来がある。 YAZAKI 過去がある。今がある。未来がある。

タイ矢崎電線開所式(昭和37年)

EPISODE

グローバル展開エピソード

日本企業の海外進出がまだ珍しかった当時の、
グローバル展開にまつわるさまざまなエピソードをご紹介します。

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1966 SWITZERLAND

欧州市場に矢崎が一番乗り!
攻めるは最上の守り

念願の「矢崎ヨーロッパ」誕生まで

1966(昭和41)年4月19日、日本の自動車部品メーカーとしては初の欧州拠点として、矢崎総業とスイスのエリコン財閥との合弁による「矢崎エリコン・コーポレーション(以下、YOC)が正式に発足した。YOCは矢崎総業の欧州全域販売代理店として自動車用電線、自動車用計器、ビニルテープなどを主体に、カーメーカーへの納入とアフター・マーケット(スペアおよびアクセサリー用)販売を開始。同時にイギリス、フランス、西ドイツ、デンマークの4カ国にサブ代理店を設け、イタリア、オランダ、ベルギー、スペインなどの欧州各国にも着々とサブ代理店を広げていった。これらのYOCサブ代理店が後に続々と各国の総代理店に発展・昇格し、本社であるYOCも1970(昭和45)年には正式に社名を「矢崎ヨーロッパ」に変更した。

「矢崎ヨーロッパ(YEC)」の名称はヨーロッパ進出時から望んでいたものだったが、スイスの法律に「実績のない名称は許可しない」とあり、当面は矢崎エリコンと名乗らざるを得なかった。しかし70年の時点ですでに欧州18カ国(イギリス、フランス、西ドイツ、デンマーク、イタリア、マルタ、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、オーストリア、デンマーク、スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、ギリシャ、トルコ、レバノン)に代理店を持ち実績もあげていたことから、ついに矢崎ヨーロッパの社名が許可されたのだった。発足当時のYECチューリッヒ本社の陣容は、男性5名と女性2名の計7名。うち6名がスイス国籍で、ドイツ語、フランス語、英語が飛び交うインターナショナルな雰囲気のなか、技術担当スタッフが唯一の日本人として頑張っていた。

資本自由化の大波のさなか、その最先端をゆく矢崎ヨーロッパの快進撃は、「攻めるは最上の守り」を体現する痛快な出来事であった。