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富士工場 銅連続鋳造圧延装置(平成26年)

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開発・事業展開エピソード

ワイヤーハーネスに始まり多くの主力製品を世に生み出してきた
先人たちの、製品開発にまつわるエピソードをご紹介します。

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ソーラーシステム

太陽熱利用のパイオニア
持続可能な未来へむけて

先見性を証明した矢崎のソーラー

1973(昭和48)年10月、第4次中東戦争に端を発した第一次オイルショックは、中東の石油に頼りきっていた日本経済を直撃。原油価格は1バレル2ドル程度から12ドル近くまで跳ね上がり、全国のスーパーマーケットからトイレットペーパーが姿を消した。

実はその前年(昭和47)、矢崎は太陽熱利用のソーラー・プロジェクトに着手していた。そこに降って湧いたような“オイルショック”だ。日本中が省エネに血眼になっている今こそ、無料・無尽蔵の太陽エネルギーにとってまたとない好機。明けて昭和49年、元旦の新聞全面広告で、漆黒の宇宙に浮かぶ皆既日食の太陽が、読者の目を釘付けにした。「太陽を地上にむかえよう」。矢崎がソーラーの新時代を拓いたことを高らかに宣言するものだった。

矢崎ソーラーハウスに世界が注目

同年7月、浜名製作所敷地内に、世界初のソーラーハウス第1号が完成した。屋根全面を25度に傾けた集熱器で覆い、太陽熱を温水の形で蓄熱槽に貯え、この温水で吸収式冷暖房システムのアロエースを動かして冷暖房・給湯を行う仕組み。降り注ぐ太陽熱の50%をエネルギーとして利用できるよう、選択吸収面を改良した。従来は110℃の高温が必要だった運転温度を85℃まで下げた吸収式冷温水機「温水焚アロエース」とソーラーとの最強コンビが実現した。

「矢崎ソーラーハウス」は発表と同時に世間の注目を集め、内外の政府関係者、学者、一般企業、ジャーナリストなど、多くの見学者が浜名製作所に詰めかけた。とくにアメリカからは政府や全米科学財団の担当者も訪れ、矢崎の名は一躍世界に広まった。

1979(昭和54)年、第二次オイルショックで原油価格が35ドルと暴騰し、太陽熱への関心はピークに達した。空調機器事業部には矢崎ソーラーハウスの見学希望や問合せの電話が殺到し、連日応対に忙殺されることになった。

持続可能な未来のために

またこの年、家庭用の太陽熱温水器「ゆワイター」も爆発的な売上を記録し、生産が間に合わずに竜洋製造所を急遽新設して対応したほどだった。

その後も、矢崎の太陽熱利用機器は進化を続けている。空気の熱と太陽の熱でエコな給湯を実現した「エコキュート・ソーラーヒート」のように、ユーザーニーズを着実に捉えた製品を世に送り出している。

地球環境の危機が叫ばれているなか、太陽熱という無尽蔵でクリーンな自然エネルギーの利活用が再び注目されている。地球の暮らしをより快適に、より豊かに。持続可能な未来のために、矢崎の挑戦はこれからも続いていく。