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富士工場 銅連続鋳造圧延装置(平成26年)

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開発・事業展開エピソード

ワイヤーハーネスに始まり多くの主力製品を世に生み出してきた
先人たちの、製品開発にまつわるエピソードをご紹介します。

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ガスメーター

プロパンガスの常識を変えた
ガスメーター「LP10」

炭は1俵売り、ガスは1本売り

日本で家庭用燃料としてプロパンガス(LPガス)が使われるようになったのは1953(昭和28)年。10キロボンベ(通称ダルマ)が家庭用に売り出されてからだ。1961(昭和36)年の通産省調査「家庭用エネルギー需要構成比」にLPガスが5%と初めて顔を出しているように、ようやくこの頃から急速に普及していった。当時LPガスを扱っていたのは木炭や練炭、薪などと同じく町の燃料店。炭は1俵、薪は1束、同じようにLPガスはボンベ1本いくらで各家庭に配達していたが、ボンベのガス残量を計量するシステムがなかったため、消費者は「まだ中身がたくさん残っているのでは?」という不信感が拭えない。一方の燃料店にしても、「ガスが切れた、すぐにもってこい!」という容赦のない注文に24時間体制で対応するのは大きな負担だった。矢崎が国内初のLPガスメーター「LP10」を発売した1963(昭和38)年とは、そんな時代だった。

役員総出のガス店行脚

LP10の仕組みは使用した量だけ計測する翼車(はねぐるま)式。ボンベから噴出するガスで翼車を回転させ、ガスの流量を積算するもので、不意のガス切れを防止するために、ガスの残量が少なくなると赤くなって知らせてくれるつまみもついている。「安心してガスを買えます使えます」をキャッチフレーズに、いよいよ全国のプロパン取扱店に向けたPR作戦を開始した。

だが、「プロパンは1本売り」という長年の商習慣は、おいそれとは変わらない。おまけにガスメーターの代金はあくまでガス店側の負担だ。LP10の見本を手に、幹部役員まで総出の燃料店詣でが続いた。業者の心を動かしたのは、24時間365日、ガス切れ電話に怯える毎日から開放されるということ。まだ残っているのでは?という消費者の不信感も解消できる。さらに強い味方になったのが主婦連*1や地婦連*2の主婦たちだった。メーター取り付けを通産省に働きかけ、ついに1967(昭和42)年、「LPガス新法」が成立、LPガスのメーター販売制が確立したのだ。

社名変更の陰の主役

LPガス新法に先立つ1965(昭和40)年、矢崎はより進化した膜式ガスメーター「V2」を発売。その後、新法の追い風を受けて一躍大ヒット商品となった。その後も「マイコンガスメーターⅡ」、超音波ガスメーター「U-Smart」と次々に新製品を世に送り出し、今でもLPガスメーターにおいて高いシェアを誇っている。

実は「LP10」を世に送り出した1963(昭和38)年は、それまでの矢崎電線工業から矢崎総業に社名変更した年。エネルギーや生活環境に関わる製品など、幅広い事業への将来的展望を見据えてのことだった。そう決断させた影の主役が「LP10」だった。

*1… 1948年(昭和23)結成。主婦の意見を政治や社会に反映させたり、消費者の利益を守るための活動を行う消費者団体と個人会員からなる連合会で「主婦連合会」の略称。
*2…1952年(昭和27年)結成。婦人の地位向上、家庭・社会生活の刷新などを目的にした地域婦人会の全国連絡組織。「全国地域婦人団体連絡協議会」の略称。