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富士工場 銅連続鋳造圧延装置(平成26年)

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開発・事業展開エピソード

ワイヤーハーネスに始まり多くの主力製品を世に生み出してきた
先人たちの、製品開発にまつわるエピソードをご紹介します。

HOME 開発・事業展開エピソード 貴重な木材資源を保全し 廃プラを資源化するドラム事業

ドラム・リサイクル

貴重な木材資源を保全し
廃プラを資源化するドラム事業

電線用木製ドラムのリサイクル

「電線ドラムの原料である木材は貴重な天然資源。環境保全の観点からもぜひ再利用を図りたい」。創業社長・矢﨑貞美の一声が、ドラムリサイクル事業のきっかけだった。

電線を巻き付けて運ぶドラムはそれまで木製で、納品した後は工事現場などにそのまま放置されていた。子どもでも抱えられるような直径43㎝のものから、大人の背丈を優に超す2m60㎝のものまであり、そのまま廃棄するのではあまりにもったいない。回収、修繕して再利用するドラムリサイクルは、世界的な木材資源保全の観点からも意義がある。矢崎は1971(昭和46)年、ドラム再生に着手。10年後の1981年にはリサイクル専業会社として和工業(現:やわら)を設立し、本格的なリサイクル事業が始まった。一時は、修理に耐えないドラムが増えてリサイクル率が6割に低迷した時期もあったが、その後は8割以上を維持。再利用回数も平均5~6回に上り、木材資源の保護に大きく貢献している。

厄介者の廃プラをドラムに再生

一方で、土に埋めても分解されず処分に困っているプラスチック製廃棄物という厄介者の存在がある。このプラスチック廃材を利用・再生することで、なんとかドラムができないだろうか。

1972(昭和47)年、矢崎はプラスチック廃棄物を原料とする電線用ドラムの開発に着手。48年春、「廃プラ・ドラム」の実用化に踏み切った。強度試験、寒冷地耐用実験もパスし、木材からの資源切替効果の大きい、直径1m以上のドラムから順に、本格生産に乗り出した。

欧米からの視察団も興味津々

矢崎電線のドラムはこうしてどんどん廃プラ・ドラムに切り替わっていく。資源活用・再利用に敏感な欧米先進国が、このニュースを見逃すはずはない。

フィンランド駐日大使館が本国からの指令で問い合わせてきたのを始め、西ドイツ(当時)、アメリカ、イタリア、フランスなどの電線会社やドラムメーカーからの引き合いが殺到した。どこでもドラムの研究は行っていたが、バージンのプラスチックを使っていたり、コスト面で劣るなどの課題を抱えていた。1975(昭和50)年3月に行われた訪日視察団による富士工場見学には、欧州8カ国の36人が参加。英語、ドイツ語、フランス語の質問が飛び交い、国際派で鳴らす矢崎側の案内役たちも目を白黒させるほどの盛況だった。先見性を旨とする矢崎の本領を発揮したエピソードだろう。